明治25年、大商家の一人息子として育った牧野さんのお坊っちゃま気質と金遣いの大胆さを物語る出来事がありました。実家「岸屋」の破産整理で帰郷した牧野さん、こともあろうに80円という大金を投じ、高知初の西洋コンサートを開いています。

ある日、新聞社の記者に連れられて高知女子師範学校に西洋音楽の練習を聞きに行ったところ、その授業レベルが低いことに「これはいかん、土佐の人に間違った音楽を教えられては困る」と啓蒙心を燃やし、高知市で「高知西洋音楽会」を自費で開いてしまったのです。

自らが音楽会の先生となって熱唱し、お寺を借りてそこにピアノを持ち出して音楽会を開き、指揮者となって意気揚々とタクトまで振っています。しかも「この間、私は高知の延命館という一流の宿に陣取っていたので、大分散財した。かくて明治25年は高知で音楽のために狂奔しているうちに夢のように過ぎてしまった」と自叙伝に綴っています。

ちなみに、この破産整理で牧野さんが最後に受け取った岸屋の財産はお米だけでした。