高知県高知市

ある日新聞社の記者に誘われて、高知の女子師範学校に西洋音楽の教師として赴任してきた門奈さんという先生の音楽の練習を聞きに行った。

この練習を聞いていると、拍子の取り方から間違っていると感じ、「これはいかん、ああいう間違った音楽を、土佐の人に教えられては、土佐に間違った音楽が普及してしまう」と思ったまきのさんは、その間違いを正すため高知西洋音楽会を組織した。

高知の本町にあった満森徳治という弁護士の家に、男女三十人ほどの音楽愛好家が集い、ピアノ、オルガン、色々な楽譜を集めた。まきのさんはこの音楽会の先生になって、歌を歌った。

あるときは、お寺を借りて音楽大会を開催し、ピアノを持ち出して、まきのさんが指揮を振った。高知初の西洋音楽会だったので、大勢の人が集まった。

のちに上京したとき、東京音楽学校(のちの東京藝術大学音楽学部)の校長・村岡範為馳に、優秀な音楽教師を土佐に送ってほしいと要請した。結果、門奈さんは高知を去ることになった。